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第36師団((Ugda 36),)は、イスラエル国防軍の師団の一つである。 北部方面軍所属の現役機甲師団。通称として「アブトゥバ・ガアシュ」(火山部隊、(Avtbah Ga'ash))という名称も使われる〔ヘブライ語版Wikipediaの記事名も「火山部隊」(:he:עוצבת געש)である。〕。第三次中東戦争、第四次中東戦争、第一次レバノン戦争に参加した。 部隊名について、ヘブライ語を直訳すると単に「第36師団」だが、多くの資料では「第36機甲師団」としているので本文もそれに従う。 == 概要 == 第36機甲師団は2014年2月からイスラエル北部軍管轄化に入ったイスラエル国防軍機甲部隊で最も規模の大きい機甲師団で、イスラエル陸軍指揮本部(GOC Army headquarters)の指揮下にある〔http://www.jpost.com/Defense/Amid-raging-conflict-in-Syria-IDF-deploys-new-division-to-border-342314〕。 第36機甲師団は1954年に編成され、1958年まで少将の指揮下にあった。 1967年の第三次中東戦争時には、ヨルダン川西岸地区の北部での戦闘に従事した。戦争後はゴラン高原南部を主な活動地域とした。1969年から1972年までは少将、1972年から1974年にはラファエル・エイタン少将によって指揮された。 1973年の第四次中東戦争では、第36機甲師団隷下の第7機甲旅団、のショットカル戦車部隊が、ゴラン高原から進撃してくるシリア軍の戦車部隊を食い止める激戦を戦った。この戦いでは約100両のイスラエル軍戦車、700両以上に及ぶシリア軍の戦車や装甲車が破壊され、この地は後に涙の谷と呼ばれた。 1978年のリタニ作戦においても第36機甲師団は主力部隊の一つとして作戦に参加した。1982年のレバノン侵攻作戦では、海岸沿いのルートからレバノンの首都ベイルートへの進撃をおこなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第36機甲師団 (イスラエル国防軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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